Dance,Dance,Dance(人は何故踊るのか?)

先日、コメント欄で馬Qさんからフォーレの曲を贈って頂きまして、いや馬Qさん、ありがとうございましたm(__)m。 ぢぢい、フォーレのシチリアーノ(シチリア舞曲)が昔から大好きなんで、作者の名前だけでピクンと反応するんですわ♨ 思い起こせばぢぢいの高校生時代に”ナウ・エクスプロージョン”という「ナウなヤングの為の音楽番組(笑)」が深夜枠で放映されておりまして、そのスポンサーがJun & Ropeでね。 衝撃的にカッコ良かったんですよ、このCMが。 世の中がみんなラフでがさつなアメリカ志向だった中で敢然とヨーロピアン志向のクラシカル・エレガンスを打ち出して、CM中の使用曲も前述のフォーレのシチリアーノであったり、フランシス・レイのパリのめぐり逢い(カトリーヌのテーマ)であったりで、当時は浮きまくっていたように記憶しております(笑)。 でも、余りにも孤高過ぎるそんな姿勢が気になって気になって、それらの曲はぢぢいのフェイバリットになったのでありました。 

さて歳月は流れ、そんなCMのあった事もすっかり忘却の彼方に置き去りにして来た某ブロガーが、今年の橘の演奏曲(アルメニアン・ダンス)をチェックしながら、そーいえば何か知らんけど昔からクラシックと言えば「~舞曲」とか「~の踊り」みたいなタイトルの曲が妙に引っ掛かって、ファリャの「火祭りの踊り」とかボロディンの「ダッタン人の踊り」とか既述のシチリアーノとか、ちょっと道を踏み外した感じの舞曲に軒並みやられっぱなしだった事に気付いてしまいました。 無意識の内にホイホイ釣られまくりであります。 日頃TVショッピング等でしょーもない自称”画期的商品”やら”世界的大ヒット商品”やらをコンスタントに掴まされて、それでも尚めげる事なく新たなオマヌケ商品に手を伸ばそうとするオバちゃん達をフフンと冷笑して来た身としては、こと学習能力の欠如という点では自身も五十歩百歩だったと知って、いささかショックを受けております。

(↑どちらの動画も直接入れないけど、「YouTubeで見る」をクリックして観て下さいね。画質は今イチだけど指揮・演奏は最高だと思います。)

で、ここからが本題なんですが、ダッタン人でもシチリア人でもアルメニア人でも結構ですけど、何故かくも踊らされねばならぬのか? てか、ちょっと音楽で刺激されたぐらいでホイホイ踊り出してしまう側の人間性もいかがなものか? そもそも、人は何故踊るのか? その目的なり、不穏な企みなりが、日頃から盆踊りすら固く拒むヘタレなぢぢいには理解しがたいのであります。 自分がドン臭くて踊れないもんだから僻んでんだべとか、そういう下衆の勘繰りは受け付けません(←図星だよ。 忖度って大事だよね)。 ぢぢいが踊りという言葉で直感的にイメージするのは2つ、アマテラスの天岩戸開きで裸踊りを披露したアメノウヅメ命と、イスラム世界の”踊る宗教”スーフィー教団の事でした。 脈絡のないイマジネーションではあるものの、敢えて通底している点を挙げるとするならば、舞踏を神への奉納と捉えている事でしょうか。 中世から現代にかけての舞踏がすっかり純粋な娯楽として定着してしまった事もあって本来の意味合いを見失いがちになっていますが、舞踏の発祥や成立の歴史を紐解いて行くと多くのケースで宗教的な儀式との結び付きを発見する事になります。 更にスーフィズムのように回転舞踏を神との合一の境地に至る為の最重要なイベントと位置付けている宗派もあって、恐らくこの先も舞踏と宗教との関係性が途絶える事は決してないのではないでしょうか。

話題は飛びますが、昨日から堰を切ったように過去の橘動画が放出され続けているのは一体どうした訳でしょうか?  増税前の蔵出しセールみたいなもんですかね? 106期や107期の動画は観た事のないものでした。 Orange Fairyさんがまとめてアップロードしているようなので、過去動画フェチの方は是非ご覧になってみて下さい。