トラのなみだ オオカミのなみだ

むかしむかし、ニンゲンたちの住む村のそばに大きないずみがありました。 ある日、いずみの水をくむために、村のサニばあちゃんがツボをかかえてやってくると、水辺で大きなトラに出くわして、さらわれてしまいました。 トラは遠くの草原から何日もかけてようやくいずみにたどりついたばかりで、のどはカラカラ、おなかもペコペコでした。

「やぁ、これはラッキーだったな! 本当はまるまると太ったヒツジでも食いたかったけど、やせっぽちのばあさんでもまぁいいか」。 いずみの水をガブガブのみながら、トラはそう思いました。 かわいそうなサニばあちゃんは、すっかりこしがぬけて動けなくなっていました。 腹いっぱい水をのんで満足したトラは、サニばあちゃんをヒョイと肩にかつぐと大きな木の下につれていきました。 「さぁ、今日の晩めしをいただくとするか」。

トラがうなりながらするどいキバをむくと、サニばあちゃんは少しの間だけ目をとじてから「じいちゃん、今いくよ」と言って、またじっとトラを見つめました。 トラは「んん? どこにいくって? にがしやしないぞ!」とばあちゃんをにらみつけました。

その時、トラのあたまから大きな血のかたまりがポタリとおちました。 サニばあちゃんは一口目を食べられたのかと思って、目をギュッとつぶりました。 「……あら? まだ食べられてない?」。 ふしぎに思ってトラを見ると、ひたいや耳のまわりにひどいケガをしているのがわかりました。 トラはいずみにたどりつく途中で出くわしたクマと大ゲンカになって、からだのあちこちにひどいケガをおっていました。 「まぁ、かわいそうに!」サニばあちゃんがビックリして手をさしのべると、トラは「かわいそう!? 何だそりゃ! おれにさわるな!」と言ってそっぽを向いてしまいました。 サニばあちゃんはかまわずに「少しだけじっとして、言うことを聞いてちょうだい。 わたしを食べるのなら、そのあとで好きなようにしたらいいわ。」と言って、トラのケガのようすをしらべていました。 「何だよ、このばあさん。 これから食べられちゃうんだから、おれのことなんかほっといてくれよ!」 トラは思いました。 「ははーん、ケガの手当てをするふりをして、スキを見てにげるつもりだな!」 けれども、トラはだんだんとサニばあちゃんを食べるのが、どうでもよくなってきたような気がしました。 ケガをしらべながら「いたかったね」「かわいそうにね」とあちこちやさしくなで回してくれるサニばあちゃんの手が、何かを思い出させたのでしょうか。

そんなことを考えながらトラがボンヤリしていると、サニばあちゃんが「いずみにもどって水をくんでくるから、待っててちょうだい」と言いだしました。 ほーら、思ったとおりだ! まぁ、いいさ。 今日のところは見のがしてやろう。 ばあさん、さっさと村にかえれ。 

けれどもトラがウツラウツラとねむりかけていると、重そうにツボをかかえたサニばあちゃんがハァハァと息をきらしてもどってきました。 何やってんだよニンゲン! アタマわるいんじゃないのか!? せっかくにがしてやったのに! トラはあきれました。

トラのきずぐちを洗いながら、サニばあちゃんはずっと話しっぱなしでした。 ずーっとむかしから仲よくいっしょにくらしてきたジュセじいちゃんのこと。 大好きだったそのジュセじいちゃんが、ふた月まえに神様のもとに召されたこと。 それからずっと、ささいなことでもじいちゃんを思い出しては、毎日かなしくてさびしくて泣いてばかりいたこと。 ばあちゃんの話しをききながら、トラは少しむねがキュッとして苦しくなりました。 「あれ? ばあさんが言ってた『かわいそう』って、これのことか?」 それからトラは、さっきサニばあちゃんになでてもらっていたときに思い出しかけていた何かが、急によみがえってきたのに気付きました。 「母さんの舌だ!」 「赤ん坊だったときに、いつもおれのことを心配して、からだ中なめ回してくれていた母さんの舌だ!」 トラはまた、むねが苦しくなりました。 それじゃあ、ニンゲンも母さんなのか? 分からない。 分からない……

いつの間にねむってしまったのか。 オレンジ色にさしこんできた朝日にビックリして、トラはとびおきました。 サニばあちゃんが手当てをしてくれたケガは、きのうよりずっとよくなっていました。 トラはばあちゃんのところにかけよって、言いました。 「ばあさん! ありがとな! おかげで……」   「……ばあさん?」  満足そうな笑顔でしずかにねむっているサニばあちゃんを見て、トラにはばあちゃんがまた大好きなジュセじいちゃんといっしょの幸せな生活にもどったことが分かりました。 やさしくなで続けてくれたばあちゃんのやわらかな手を思いかえして、トラの目からあついしずくがポタリ、ポタリと地面におちました。 やがてそこからトラによくにた小さな生き物が生まれてきて、ニンゲンといっしょに仲よくくらすようになりました。

  

シャイロは長いあいだ、草原をかけめぐるオオカミたちのリーダー中のリーダーでした。 むれのボスの座をめぐっては、わかいオオカミのレップとはげしいたたかいになったこともありましたが、やはりさいごはシャイロの強さに圧倒されてレップもにげだしてしまいました。

シャイロには弱っちくてダメダメな、小さな妹がいました。 ポピという名前の妹は、5 年まえのあらしの夜に、がけから転がり落ちたニンゲンの乗りもののそばでカゴに入って泣いていました。 ポピはニンゲンの赤ん坊だったのです。 めずらしい獲物を持ちかえって鼻たかだかだったむれのわかいオオカミも、シャイロにカゴを取りあげられて「今日からおれの妹として、強いオオカミにそだてる!」と言われると、何も言えずにシュンとしてしまいました。 けれども、シャイロの期待とはうらはらに、ポピはいつまでたっても速く走れないし、動物の狩りもヘタクソなままで成長していきました。 シャイロはそんなポピを見て、「ほこりたかいオオカミ失格だぞ!」としかりつけて、いらだっていましたが、ポピはいつもニコニコしてシャイロのあとをついて回ったり、シャイロの太い首に手を回してハグしてみたりで、やはりオオカミとしてはダメダメなままでした。 いつもしかられてばかりなのに、ポピはシャイロが大好きでした。 本当はやさしいシャイロの気持ちを、ポピはほかのだれよりもわかっていたのです。

ある日のこと、むかしシャイロにむれを追われていらい、ずっとすがたを消していたわかいレップが仲間を二匹つれてもどってきました。 からだはひと回りもふた回りも大きくなって、シャイロに負けないほどたくましくなっていたし、何よりもレップにはわかさという大きな武器がありました。 いつかむれを横取りしようとねらっていたレップにとっては、今日が最後のチャンスかもしれません。 たたかいは、いきなり始まりました。

最初のうちはやはりシャイロがたたかいをリードしていたものの、途中で何度かレップの仲間がかせいして、しだいにシャイロはおいつめられていきました。 そしてとうとうレップのキバがシャイロの肩を切りさいて、シャイロはガケっぷちにおいこまれてしまいました。 谷底には深い川が流れていて、落ちれば勝負だけでなく命まで落としてしまうことでしょう。

レップが大きく息をすいこんで、シャイロにとどめを刺すために飛びかかろうとした瞬間、横から小さな影がレップに体当たりして、そのまま二匹はもつれあって谷底に吸い込まれていきました。 シャイロは何が起こったのか、わけが分かりませんでした。 けれども、さっきまですっかりおびえて、目にいっぱいのなみだをためて見守っていたはずのポピの姿が消えているのに気付くと、シャイロは半狂乱になってさけび続けました。

むれのみんなが口々にポピの勇気をほめたたえるのを、シャイロはボンヤリときいていました。 だけど、勇気なんかなくたっていい。 草原を速く走れなくたっていい。 狩りがヘタッピだから何だって言うんだ。 ポピには自分の役割がよく分かってた。 いつもまぶしいくらいの笑顔をふりまいてくれていた。 狩りからもどってきたみんなを待ちかまえて、大はしゃぎでみんなにハグしてくれた。 オオカミの言葉が分からないのに、みんなの表情をじっと見つめて少しでも気持ちを読み取ろうとしてくれた。 そのひとつひとつを、おれは何にも認めてやらず、何にもほめてあげなかった。 ただオオカミのものさしで、強くたくましくと、そればかり。 ポピにしかできない役割について、おれは何にも考えてこなかった。

夜になって、シャイロは寝ぐらの洞くつにフラフラになってもどってきました。 からだのキズだけでなく、頭の芯もズキズキ痛んで、ねむれそうにありませんでした。 ふかくため息をついて身を横たえると、顔のあたりに何かさわる物がありました。 拾いあげて、それがポピが編みかけた花のかんむりだと分かった瞬間、シャイロはこらえ切れずに外に飛び出して、むれのみんなの目にもおかまいなしで、月に向かって大声で泣きさけびました。 「ポピ! ポピ! もう一度だけでも会いたいよ!」 オオカミの目から流れおちるあついしずくは、いつまでもいつまでも地面をぬらし続けました。 やがてそこから、オオカミににた小さな生き物が生まれてきて、ニンゲンの友達としていっしょにくらすようになりました。