桜吹雪のように

京都橘に関して以前から気になっていた事があるのだが、書くべきか書かざるべきかずっと迷っていた。 このブログに書いてみたい気持ちは収まりそうにない。 しかし恐らく当事者にとっては大きなお世話だろうから、放っておいてくれと言われるに決まっているのだ。 未だにくよくよと躊躇し続けているが、お節介の血が騒いで収拾がつきそうもないので、ひとまず京都橘を離れて一般論として話を進めて行く事にしよう。

ここに一人の少年がいる。 名前は仮にAとしよう。 Aはチェスが好きだったので高校入学と同時にボードゲーム部に入部したのだが、このクラブは非常にユニークな活動方針で近隣に名を馳せていた。 特にこの高校を全国的に有名にしたのは数年前の卒業生が考案したゲームで、チェスとオセロをミックスした“チェセロ”というものだった。 (このゲームの詳細については余りにもカオスに満ちて訳の分からない闘いなので、また別の機会に解説する事にしよう。 笑)   さて、Aは元々幼い頃からチェスに親しんでいて才能も豊かだった上、クラブに入部してからは激しいエクササイズや地獄のスパーリングに打ち込んだ甲斐あってめきめきと頭角を現し、チェセロの駒を操らせたら世界一と称賛されるようになった。 テーブルに突っ伏しては時に顔を上げ、目まぐるしく駒をスキップさせてはライバル達をなぎ倒すAを、人々は『ぐんじょう色の悪魔』と呼んで畏れた。 Aは心底ボードゲームを愛していたので、王者の座に慢心する事もなくトレーニングに励み続けた。 チェセロに没頭する毎日は本当に充実していて、あっという間に2年余りの歳月が流れた。 大学に進学して更にチェセロのレベルアップを目指そうとしていたAだったが、色々調べていくうちにどの同好会やサークルもチェセロに関しては彼の望む様な活動をしていない事が分かってきた。 チェセロを邪道と決め付けて 余りにも方向性が違うもの、チェセロの事を認めはするものの 余りにもレベルの低いもの…。 Aはクラブの友人達の前で小さな溜め息をついてから、笑顔になって言った。

「このクラブで出来る事は全部やった。 自分の人生の夢なんて考えた事もなかったけど、振り返ってみたら今日までの3年間がそうだったのかな。 楽し過ぎて気付かなかった。 大学に行ったら今度は体育会系のゴツいのを目指そうと思う。」     

 

大好きな京都橘吹奏楽部だけれど、せっかくローズパレードであんなにも大勢の観衆を沸かせたり地元紙に絶賛されるような能力が有りながら、卒業後 彼らの才能をそのままの形で受け入れてそのスキルを伸ばし磨き上げてくれる場が無い事が本当に悔しくてならない。 楽器奏者としては殆どがこの3年間限りで燃え尽きてしまうしかないのだ。 勿論、座奏の吹奏楽や一般的なマーチングバンドに加入するという道もあるけれど、橘の経験者がそういう場所にやり甲斐や居心地の良さを感じるかどうかは大いに疑問が残る。 満開の桜の花は散り際も見事だけれど、京都橘の演奏に毎回感動して泣かされるのも、同じように3年間を駆け抜けて行く儚さが透けて見えるからかもしれない。

東京では2年後にオリンピックが開催される。 この大会を盛り上げる為に、力のある芸能事務所が猛然とプッシュする“華々しいスター達”の名前が賑やかに取り沙汰されている。 

全くもってウンザリだ。 私達が胸を張って誇りたい日本の文化は、そんな物じゃない。 

私達が聞きたい名前はそんな商売人の名前なんかじゃない。

ビジネスと文化を混同して欲しくはないのだ。

先日のローズパレードの動画を観ていて、顔も手足も日焼けして真っ赤になりながらも、全力で演奏したり笑顔で手を振って懸命にパフォーマンスを続ける京都橘の生徒達こそ、日本の誇りとしてオリンピックの場で世界中に発信して欲しいと本気で思った。 他にも長年にわたって世界選手権を制覇し続けているチアリーディングだって、今や日本のお家芸と言っても良いほどのレベルに到達していて、オリンピックのオープニングセレモニーのパフォーマンスにはぴったりだと思う。 どちらもアマチュアで、当然ながら金儲けには結び付かない。 けれども、それがどうしたと言うのか。 地道で涙ぐましい彼らの努力を無視しておいて、札束の匂いばかり嗅ぎ回る事に一体何の価値があると言うのだろう? 少なくともスポーツの祭典で何故 プロ歌手の陳腐な歌を披露されなければならないのか、私には全く理解出来ない。 それが最近の潮流だと言うのならば、是非とも日本の手でそんな愚かな流れを断ち切って欲しいと思う。 

政治的な発言でこのブログを汚らしくペイントするつもりはないので余り深く踏み込まないが、私はこの国のリーダーとしての現在の首相を信頼し支持している。 日本というブランドの価値を高める仕事を考えるのも確かに重要だと思うが、もうそろそろこれまでのような手垢まみれの商業主義や利権からオリンピックを切り離して本来の姿を指し示すのが、この国の役割になってきているのではないだろうか。 火中の栗を拾うような気の進まない仕事かもしれないが、日本が率先してやらない限り他のどの国も手を出さないような気がする。

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