ドラムメジャーの見る夢は…

京都橘の歴代ドラムメジャー達は、1~2年生にとっては常に羨望と憧憬の対象でバンドの象徴的存在です。 それだけに1年生の秋ぐらいの段階で翌々年度のドラムメジャー指名が行われると聞いた時は、肩すかしを喰ったような気分でした。 勝手に膨らませたイメージ(と言うか妄想)では、入学から2年間の切磋琢磨を経て 抜きん出た実力やリーダーシップを認められた部員が、3年生になってから晴れてドラムメジャーに指名されてめでたしめでたし、という筋書きが出来上がっていたからです。 しかし現実にはどうも『それでは遅過ぎる』という事のようです。 1年生の段階で早々にドラメの資質に目星を付けた部員をじっくりと育成して行かなければ、いざ3年生になって部全体を統括する立場になってからでは、自分自身のトレーニングどころではないですもんね。 なるほど、確かに…… (独りで納得)。 とは言っても、入学からまだ半年程度の新入生の肩に(見習いとは言え)いきなり全国大会強豪校の代表としてのプレッシャーがのしかかって来る訳ですから、その心中は決して穏やかではないでしょう。 TV番組に取り上げられて、そのリーダーシップやカリスマ性が絶賛されて今や伝説になりつつある〇ラっちゃさんをはじめとした歴代ドラムメジャー。 その一人一人を思い起こした時に、この子達にもし一つだけ何か贈り物が出来るなら、ドラメを離れて クラリネットやフルートやトロンボーンやホルン…それぞれの担当パートで、憧れていた先輩と同じように楽器とダンスに思う存分に没頭したり満喫したり出来る2年間分の夢(一晩で効率的に完結するヤツ 笑)をプレゼントしたい気がします。 今年のベネフィット・コンサートの動画を観ていたら、ラストで全員笑顔で手を振る中、一人だけ口を『へ』の字に結んで半ベソで涙を堪えてたドラメの〇ンさんが(笑)。 だから貰い泣きするから やーめーれー(笑)。 背負い続けてきたものの重さを考えると仕方ないよね……見なかった事にしときます。

 

さて、京都橘高校。 校名にもしっかり表記してるぐらいだから間違いなく京都の学校ですけども、ご存知の通り同じ京都繋がりって事でタイガースの『シーサイド・バウンド』もレパートリーに入ってます。 人気という面では当時のGS(グループ・サウンズ)ブームのトップに君臨していたバンドで、京都人達もさぞかし鼻が高かった事でしょう。 別に妬んだり僻んだりして言う訳じゃないですけど、うちらヒグマ王国にだってね、えーその…い、一応いたんですよ、地元札幌出身のGS。 キッパー*っていうバンドで……って、ねぇ何で皆そんなに後ずさりしてんの? 悪かったよ! どーもすいませんでした! 書くんでなかったわ! 俺だって当時子供心に「う~わ、何か垢抜けねー…つーかクッソ田舎くせーGS!」って思ったもん、正直。 『*まなすの恋』とか言う曲のタイトル聞いた時点で終わってるなと思ったし(何か他に題材なかったんか…ハマナスって…)、曲聴かされたら何だかもうGSの皮を被ったムード歌謡でクラクラ立ち眩みしたもね。 あー…札幌ダメだと思った。 今でも札幌の暗黒の歴史になってて、この話題振られると札幌市民はみんな涙目でしらばっくれて全力で逃げて行きます。 頂点のタイガースに対して、ド底辺の*ッパーズ。 惨め過ぎて涙も涸れた…。 頭が痛いよ……きっ*ーず…。 でも、あの頃は猫も杓子もGSだったから、ムード歌謡崩れだろうがお笑い崩れだろうが、とりあえずエレキギター持たして何か演らしとけみたいな安易なバンドが札幌に限らず全国に溢れ返ってたと思います。 そんな飽和状態がいつまでも続く訳もなく、GSブームは2~3年で呆気なく終りました。 

愛するーアーニーター…兄太~!! (←大仁田~!!でもギリいけそうだな…)

※意味分かんない子は『ワイルド・ワンズ 愛するアニタ』で検索だ、急げ!(←つまんねーからやめとけ)

 

先日You Tubeに投稿された動画に何と1993年の橘のパレードがありました。 曲はお約束のDown by the riversideですが、さすがに25年前となると現在とは幾つかの相違点があって、間違い探しクイズが出来そうです。 真っ先に気付くのはやはりソックスと靴が白い所ですが、これは2005年にシングのパフォーマンスが誕生する辺りまで引きずっていたので、比較的見慣れたスタイルですね。 今回初めて見たのは全員が白手袋を付けていた点と、カラーガードの小娘どもが 、ふざけた事にヒールがやや高めの白ブーツみたいなのを履いてて…ちっ!……このアマ~…小癪な真似しやがって! どこで色気付きやがったんでしょうか。 カラーガードは罰としてその靴履いて校庭で10分間グルグルやって来なさい!  本番は一回やねんで!(←意味分からん)  後もう一つキッチリと告発しておきたいのは、よりによってドラムメジャーが何かフサフサした鳥の羽根みたいなのが付いたマーチングバンド風の帽子かぶってた事 (←マーチングバンドだからいいんだよ)。  あと、パーカス隊は通常通りゴキのコスプレだから異常なし (←ヤツらをこれ以上刺激するな……)。

 

しかし京都橘の古い動画を観ていていつも驚くのは、2005年のシングに向けてあらかじめ『それ』が起こる事を潜在的に予期していたかのように、どんどん下地が出来上がって行ったという事実だ。 逆説的な言い方になるがシング1曲だけで一足飛びに橘がユニークな存在になった訳ではない。 軍楽隊を源流とするオーソドックスなスタイルが殆どを占める国内のマーチングバンドの世界で、京都橘はそんな主流派とは距離を置いた風変わりなエンターテイメント志向のバンドとして元々特異な位置付けにあったのだ。 そんな“異端児”の決定的な変容を促す触媒がシング・シング・シングだった訳だが、準備万端整っていたこの高校生達にとって、それは決定的と言うよりはむしろ仕上げの小さな一押しに過ぎなかったのかもしれない。

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