ケモノ道を切り拓く

ディジー・ガレスピー!? 何でよりによって? 高校生がマンテカ???

去年 京都橘にハマってから遅ればせながら2012年のバンドフェストの動画を初めて観た時は唖然とした。 ディジー・ガレスピーのファンではなかったけど、彼の曲で唯一知っていたのがマンテカだった。 他の余計な知識といえばあのはち切れんばかりの頬っぺたの写真のみ。 高校生のレパートリーとしてこんなアバンギャルドなジャズを選択する事に度肝を抜かれたし、こりゃいくらなんでもバンドフェスト向けに意気込み過ぎての勇み足だったのでは?と思っていた。 ところが後になって橘のマーチング・ヒストリー①という動画でかなり昔からこの曲を演奏し続けていた事を知って更に驚いた。 彼女達のユニーク過ぎる演奏スタイルばかりに気を取られて、その懐の深さを見くびっていたのだ。 片っ端から動画をチェックしてみると、まぁ出るわ出るわ(笑)。 スウィングは勿論、サンバやマンボのラテン系、’60年代のソウル・R&B系、ディズニー・ナンバーもかなりマニアックなレベルで網羅しているし、油断していると’60~’80年代のポップスまでねじ込んで来る。 一体どんだけ貪欲に曲を吸収し続けてるんですか、橘さん。 普段パレードで耳にする曲に限定・集中して繰り返し練習しているイメージで捉えがちだけど、どうも他にも座奏で陰に隠れてコソコソと悪さしてるらしいし(笑)。 考えてみればいつも見慣れているパレード曲って、次々に目まぐるしく繰り出して来るけど暗譜してる曲だけでアレなんですよね…。 その上に座奏の練習曲が加わるとなると、そのレパートリーの深さ・広さの両方に戦慄するばかりです。 シング・シング・シングは勿論、パレードのオープニング曲のダウン・バイ・ザ・リバーサイド、京都橘のテーマ曲のウィンター・ゲームス、やはりパレードに欠かせないディズニー・メドレー等々 どれももう看板曲と言えそうな曲だらけですけど、最近少し出番が減っている恋のカーニバルもずっと続けて欲しいなー。 全然知らない曲だったけど、京都橘のイメージに凄く合ってる気がして今や大のお気に入りになりました。 ディズニー・メドレーの中のハワイアン・ローラー・コースター・ライドも続けて欲しい曲の1つです。 動画チェックしてる内にリロ&スティッチにハマりました❤  

 

今年のローズ・パレードに対する海外の反応を見ても、やはり京都橘のユニークな演奏スタイルを称賛するものばかり。 実はぢぢいが期待してんのは『わが国の〇〇校もこんなに個性的なマーチングをやってます』みたいな反応なんだけど、無いですねー、さっぱり。 アメリカ人で『うちの学校も似たような事やってるよ。』って言う方も1人いたものの、何処の学校とは書いてないし話題になってる気配もないしで、恐らく『似たような』の捉え方がちょっと違うのか 負けず嫌いで言ってみました的な方なのでは…。 ともあれ、別な所でも書いたと思いますが少なくともアメリカでは軍楽隊の残像や影響が強過ぎて、今後もエンタメ的な要素の強いバンドは生まれて来ないような気がします。 京都橘があれ程熱烈に受け入れられたのも、自国からは決して登場し得ないスタイルだからこそなのではないでしょうか。 日本国内に目を向けてみると、京都橘が余りにも孤高の存在すぎるのか【 個性的なバンドを志向する】イコール【とりあえず京都橘のスタイルを踏襲してみる】みたいな安易な流れになりがちという気がします。 踏み出しのきっかけとして悪い事とは思わないけれど、そのままそのポジションに落ち着いてしまったら中途半端なB級バンド確定じゃないですか? 出雲商業や大西学園のように京都橘からの影響をあっけらかんと表に出しちゃってるバンド は正直言って嫌いじゃないんですが(笑)、自分達の現在地があくまでも発展途上の仮舗装路上である事や 京都橘が道の無いジャングルに自らケモノ道を刻んで生き残って来た野獣である事(笑)などは、決して忘れるべきではないと思います。 京都橘の何よりも凄い点は その一貫した姿勢です。 メインストリームに迎合する事なく独自の理想を見据え続けるのは簡単な事じゃありません。 今でこそ安定した人気や評価が定着しているものの、 余りにも個性的なスタイルだっただけに揶揄される事も多かったと思います。 諦めずに継続する事で苦境を乗り越えて来た京都橘。 そんな彼女達が導き出した解答の【上澄み】だけを味見して真似てみても、恐らく人を感動させる事は出来ないでしょう。

エンターテイメント性重視という点では、2年前にローズ・パレードに出場した東邦高校のパフォーマンスも日本らしくて面白いと思いました。 キャラクターとしては橘の陽に対して東邦は陰みたいな雰囲気ですが、橘の亜流にはしないという意地が見え隠れしていて 好感が持てました。 ただ、バンドフェストでの彼らは正直言って●●でしたが。    4~5年前のナゴヤ・マーチングなんちゃらの動画でも相当酷い事になっていて、せっかくの演奏をぶち壊すほど観客をドン引きさせていたので、こういう自己満足なだけのおまけ演技は根本的に練り直した方がいいような気がします。 演奏そのものやマーチング・パフォーマンスは良いのに残念過ぎる…。

小さなオモチャ屋さん

アメリカで今度は玩具小売のトイザラスが経営破綻して、700店以上に上る全店舗が閉店になる見通しだと言います。 経済では相変わらず明るいニュースがありませんね。 やはり小売の分野では日本と同じくアマゾンの一人勝ちなんだろうなぁ。 昔は個人経営の小さなオモチャ屋さんが沢山あったし、みんなそれなりに健闘してたのにね。 ぢぢいはオモチャというと真っ先に札幌駅地下のステーションデパートを思い浮かべます。 もう半世紀以上も前の話になります。 子供達も今よりずっと多かったから、デパートの玩具売り場の賑わいはどこも大変なものでした。 ただでさえ混雑しているのに更に事態を拗れさせて現場を阿鼻叫喚のカオスに叩き込んでいたのが、ダダこねてギャン泣きする子供達でした。 ぢぢいだってガンガン攻め込んだもんです。 お前はルンバか?って勢いで床をのたうち回って泣き喚いてた記憶が一杯あります。 その割にダダこね作戦がまんまと奏効した例は殆ど無かったので、体力消耗の割には効率悪かったかもなー、と今更ながら戦略ミスを悔いています。 五番館、丸井今井、三越、など街中のデパートの玩具売り場と屋上遊園地も子供達にとっては地上の楽園でした。 ぢぢいはこちらでもマメにダダこねて職務を全うしたものの、結局はいずれも玉砕です。 当時の札幌の緊迫した玩具店状況を考察する上で、避けては通れない聖地がもう一つありました。 狸小路です。 中でも巡礼の旅の最終目的地は 3丁目・茶谷碁盤店と4丁目・中川ライター店で、どちらもプラモデルとイタズラ玩具が充実していて小・中学生に人気のたまり場でした。 あの頃は金属製の超リアルなモデルガンも規制されておらず、皆が息を詰めて一日中眺めていたものです。 今から振り返って見ればどちらの店内も相当雑然としていた様な気がしますが、子供達の心を惑わす魅惑の宝庫でした。 さて、ぢぢいには重要な任務がありました。 当時ブームを巻き起こしていた007のアタッシュケース(もちろん殺傷能力の高い銀玉ピストルを密かに装備済みです)を入手して、悪の組織と闘わなければならなかったのです。 防御力強化の為には 忍者部隊・月光のヘルメットも装着しない訳にはいきません。 紙巻火薬が炸裂して恐ろしい大量殺戮を引き起こす手榴弾だってポケットに忍ばせてモッコリ、が当然のマストアイテムです。 最終兵器は敵を欺き致命傷を負わせる指パッチンのクールミント・ガム以外考えられませんでした。 それらの全てを装備したマヌケな姿を想像してみて下さい。 それが当時の私です。 …恐ろしい子…。

 ‘70年代初頭には姿を消した茶谷碁盤店。 一方、中川ライター店はその後も長く営業を続け、名物店主だった爺ちゃん亡き後も頑張っていましたが、とうとう数年前に店をたたみました。 最後の最後までガタガタになって残っていたポンコツなドアが、何だか昭和の温もりの終わりだったみたいで今も恋しいです (TωT)ノ゛

 

時代を下って’70年代に差し掛かってくるとぢぢいの任務も大きく変わり、同じく狸小路にあったレコードと楽器の店・キクヤに足を向ける事が多くなっていました。 後に地下の売り場も併設したビルに生まれ変わるキクヤですが、この頃はまだ平屋でウナギの寝床みたいに細長く[く]の字に曲がりくねったレトロ感丸出しの不思議な造りの店舗でした。 ちょうど隣の[学生服の赤塚]を囲い込む様な変な形です。 この時期にようやくエレクトリック・ギターに対する興味が芽生え始めたぢぢい、件の楽器が見たくて仕方ありません。 本当はガッツリ観察したかったのですが 何事につけ自意識過剰になる難しいお年頃(笑)だった為、少し離れた斜め前に陣取っては見るでもなく横目でチラチラするばかりという謎のツンデレ行為を繰り返していました。 一体何だったんでしょうか? 自分自身の事とは言え、思春期のエテ公の行動基準は不可解そのものです。

そんな狸小路からもいつしか足が遠のいて何年もご無沙汰だったんですが、先日久しぶりに立ち寄ってみて色々な意味でショックを受けました。 何だか記憶にある狸小路よりも全体的に小ぶりで…と言うか、何か少し萎んだ?みたいな雰囲気で、ああ 町並みも年老いて行くのかなと思うと切なくなりました。 商店街もやたらとドラッグストアだらけで、店の前にたむろしている人達もよく見ると皆 中国人ばかりです。 札幌の中心部も色んな要因が絡み合って人の流れが大きく変わりました。 狸小路から以前のような活気が消えつつあるのは、そのせいばかりではないのでしょうが寂しい限りです。 あー、昔は良かったーとか あの頃は楽しかったーとか、思い出に浸るばかりの後ろ向きな老人にはなりたくないと思ってたのに、いつの間にかしっかりとそうなってますよねー。 だって本当に街が色褪せてきてる様な気がすんだよなー(←ぢぢいの霞み目のせいだろ)。 うるせーよ。 昔の札幌駅の安い立ち食い蕎麦くいてー! 駅名店街のちょい呑み屋でビールひっかけてホロ酔い気分で帰りてー!

また札幌駅の床に転がってダダこねてみたい気分です。

悲運の110期?

札幌もようやく日中の最高気温が6゙℃とか7℃とかの日がぼちぼち出て来て、少しずつ雪解けムードになってきました。 逆にこれぐらいの中途半端な解け加減の時の方が、轍にはまってスタックするトラックなんかをよく見かけるようになります。 春の気配を感じるにはまだまだ空気が冷た過ぎですけども、残り1ヶ月と思えば最後の雪道を楽しむだけの余裕も生まれると言うもの。 このまま雪降らないで素直に春になって欲しいなー(←多分ムリ)

 

えーと、本日最初のお題は【悲運の110期】です。 一瞬エッ?て顔した方、いやいや、何も言わんでもエエですとも。 110期という事は〇ラっちゃ先輩の2コ下だから…そう、〇のみちゃんの学年ですよね。 〇のみちゃんのどこら辺が悲運なんだ、いつもぽっちゃりしてて思いっきり幸せそうやんけ、と思うかもしれないけど 110期メンバーの話だからね。

You Tubeにアップロードされた110期の動画を探すとディズニーシーでの演奏やマーコンの予選会、3000人の吹奏楽のがあるものの、他はあまり見当たりません。 

108・109期や111・112期はその練習振りがTV番組で取り上げられていたし、113・114期も参加イベントの動画が割と沢山ある中で何故か110期が出て来ないんです。 ドラムメジャーがSさんという事は判明したもののニックネームを調べようと八方手を尽くしてみても探し切れず玉砕。 う~む、こりゃどうした事だ。 110期メンバーは〇ラっちゃ先輩の笑コラに取り上げられていたせいもあって、〇のみちゃんだけでなくバリトン・サックスの〇村さん(パンツ発言で視聴者を爆死に追い込んだ)や、3000人~でおっとり笑顔で演奏する姿が印象的だったドラムさん(先日のローズパレードにもOGとしてスネアで参加。沿道の観衆を盛り上げてました)、あと〇ラっちゃ先輩のディズニーパレードでカメラの正面でシング吹いて暴れてたホルンさん等など、決して地味な顔ぶれって訳でもないと思うんだけどねぇ? 何だか110期だけ動画が少ないと却って気になっちゃってさぁ。 むきになって探してんだけど出て来ないんだよなぁ。 

マーコンの時のシングのグルグルで転倒者2名出ちゃったり(ぢぢいはむしろ瞬時に立て直そうと必死に頑張る2人の姿に感動して又泣きました)、たまたまTVの谷間の時期で取材される機会も無かったり…何だか不運が重なったような気がする110期。 演奏者・パフォーマーとしての実力はディズニーシーの動画を観ても分かる通り、他の期と比べても申し分なかったと思うんだけどね。 ただ、110期のメンバー達が共に汗して懸命に指導した1年生が、2年後には全国大会で見事金賞を手にした訳だから、思いは完璧に伝わってた…のかな? なーんだ、110期全然悲運なんかじゃねーわ(笑)。 夢が花開くまでにちょっと時間が掛かっただけだった。

ぢぢいの中では橘は何期だろうと全部文句なしのゴールド金賞です。

本当にね、人を感動させたり泣かせたり魂を揺さぶるような音を出すのって《技術》なんかじゃなくて《思い入れ》の強さだけなんだと思う。 今日、7~8人くらいの凄く上手いバンドの動画を観て、おまけに最後に演ったのがシング・シング・シングだったから余計に強く感じたんだよね。 出てくる音は余裕と自信に満ち溢れていて実際綺麗だったんだけど、何故だか全然心に響いて来なかった。 表現する喜びを漲らせている橘に比べて全然楽しそうじゃないし、早いとこお仕事やっつけて帰りたいみたいな気持ちが丸見えなのに、それでもやっぱり表面的な演奏だけは妙に上手いから余計に腹が立ったのさ(笑)。 自分達のパフォーマンスが不本意だったと言って大泣きする橘の姿勢の方がずっと共感できる。 上手くなんかなくてもいいわ。 勿論、上手けりゃもっといいのかもしれないけど(笑)。   

 

去年から紛糾してたJASRACと音楽教室の著作権使用料を巡る攻防は、結局予想通りJASRAC側の主張の方が認められる事になりそうで ぢぢいは失望してます。

だってJASRACがこの問題を突破口にして、もっと多方面にズカズカと土足で上がり込んで来る将来が露骨に見えるから。 学校の音楽系の部活では現状、著作権料はどういう扱いになっているんでしょう? 次のターゲットは部活動かもしれません。 むやみやたらに権利を振りかざす金の亡者達の目には、きっと世の中は利権を刈り取る広大な畑としか映っていないんだと思います。

ぢぢいの少年時代 街頭にはいつだって音楽が溢れていて、もうそれだけで道往く人々の表情が緩んでいたような気がします。 今、街中で音楽を耳にする事なんて殆どありません。 笑顔も随分減りました。

もしもJASRACの台頭で本当に作曲家達の正当な権利が守られて、彼らの地位向上に寄与するようになったというなら言うべき事はないのですが、徴収された著作権使用料の分配一つ取っても常に疑問符が付き纏って離れません。 結局JASRACは音楽に寄生しているだけで、本気で著作権者を守る気なんて無いような気がしてなりません。

健康診断で死にかける

昨日に引き続き、「せつ子ぉぉ…帰って来いよぉぉ…。 息子のタカシもすっかり大きくなって…今年で84になったぁぁぁ…」 みたいに、114期メンバーに未練がましく纏わり付こうという記事である。 何だかんだ言ってみても橘のキメはシング以外有り得ない。 比較的高めの年齢層らしき気配が漂うバンドフェストの観衆とは言え、あれだけ手一杯引っ張っておいてカンティナ・バンドで締めてそのまましらばっくれて退場なんかしたら暴動が起こるに違いない。 水戸黄門が印籠なしで「じゃあねー❤」と通過して話が終るようなものだ。

今回のバンドフェストでも当然締めの曲はシングで、しかもあの空前の大所帯が一斉にシンクロしたステップを踏むのだから、まさに壮観そのもの。 ちょっと反則じゃないかと思えるレベルだった。 橘がOBやOGを動員して200名規模に膨れ上がったとは言え、大トリの怪物オクラホマ大学に比べれば それでもまだ半分程度の人数に過ぎないのではないだろうか? にも拘わらずパフォーマンスとして少しの見劣りもしなかったどころか寧ろ圧倒する程の勢いだったのは、綿密に練られた構成と それを緻密に実現してしまう練度があればこそ、だったのだと思う。 徹底して『魅せる』演奏に特化した橘にしてみれば、こうしたグランド・ドリルこそ願ってもない得意分野なのだろう。 バンドフェストとローズ・パレードを通して敢えて嫁イビリめいた事を言うとしたら やはりマーチングの際のラインの乱れだと思うが、 OB・OG込みの混成バンドという事もあってか余りラインにピリピリしている様子も無かったので、今回はあくまでも自分達で演奏を楽しむ事が最優先だったのかな?などと勝手に想像している。

それにしてもアメリカのマーチング・バンドを観ているとそのスタイルはあくまでも軍楽隊に根差していて、そこから離れる事はこの先も決して無いのだろうなと強く感じた。 そもそもマーチング・バンドの根本的な存在意義からして平和で安穏とした日本とは違うのだろう。    それから体型の違いも…。 男女共に…相当ヤバそうな方が結構……もうちょっと痩せようよ、アメリカ人。 京都橘の生徒達が超健康的そうに見えるよ(実際そうだと思うけど)。 

 

健康的とか言う聞き捨てならねーパワーワードが出て来たので、ここで息抜きに健康診断の話でも致しましょうかね。 数年前の健康診断でバリウム検査したら、何やら不審な陰りが見えますねーこれは調べてみた方がいいかもしれませんねーよし!調べましょう胃カメラ飲んで貰いますねー検査の前日は夕方〇時以降は飲食禁止ですからねー、等と一方的にまくし立てられて、ついでに痛くも苦しくもないからオススメですよーと言うので鼻から入れる胃カメラをお願いした。 再検査当日、検査室に入ると女装した遠藤憲一タイプの看護師さんがあれこれと準備をしていて、ちょっとイヤな予感がした。 看『〇〇さーん、おはようございまーす。 まず痛くないようにお鼻に痛み止め(麻酔?)のゼリー入れますねー。 右側でいいかしらー?』 私『あ、はい(フガフガ)』 看『じゃあ、このまま〇分待ってて下さいねー』

漏れ出すゼリーで鼻垂れ坊主みたいになってる私、しばし困惑。 看『はい、それじゃあカメラ入れますねー。 右側でしたよねー?』 私『はい』 看『は~い』 いきなり左側の鼻の穴にブチ込む看護師。 私『うがっ!! ごふぇっ!!!』 涙目でのたうち回る私を強引に抑え込む看護師。 看『はいはい、ダイジョブ、ダイジョブよー。 痛くな~い。 苦しくな~い。 喉を通ったらもうダイジョブ!』 ダイジョブな訳あるかボケ!! オメーは痛くも苦しくもなくても、俺はイテーわ! クルシーわ! どこら辺が大丈夫なのか説明しろ!

看『ほらほらほら、もうダイジョブ! もう楽ちーん!』 やかましーわ!! この滝のような汗を見たら何か気付けや。 俺に触れるなババア! 上四方固めヤメロ  

大粒の涙をぽろぽろ零してゴエゴエとエヅき続ける俺。 検査が終了してカメラ抜いた段階で初めて自らのミスに気付いて爆笑してごまかす看護師。 コロス……ゼッテーコロス!

その日から、私は病院を信用しなくなった。

しかも! 再検査の結果が知りたければもう一度病院に来いと言う。 別に結果知りたくないですと言ってもやはり来いとにかく来いいいから来いまずは来いと言って譲らない。

ウンザリしながら行けば行ったで何やら勿体ぶって時間を引き延ばしたあげく、ま、今回は心配するような物が見つからなくて良かったね。 あと、うーん、コレステロール値がちょっと気になるから魚卵とか食べるの控えようか。 え? イクラ好きなの? じゃ、真っ先にイクラを控えよう。   …医者も…嫌いだ。

イクラぐらい食ったっていいじゃねーか! 酒もタバコもやめたのにイクラもダメかよ!   あーもう分かった、ほんじゃ代わりにシイタケやめるわ (←必死)

ぢーちゃん血圧上がってきた~! はいはいはいはいはいはいは~い!(←発狂)

せーの、再検査~!

 

114期よ永遠に

未だに114期のメンバーを恋しがってウジウジしてるぢーちゃんですが、今頃の時期になるともう橘のシングに憧れて入部して来る出来たてホヤホヤの見習い悪魔達が、青空の下の初舞台を夢見て色々と悪巧みを始めているのでしょうか。 部員獲得の刺激材料としては この間のローズパレードは時期的にちょっと遅すぎた気がするし、この先 少子化で入学者数そのものも先細りになって行くだろうし、いやー 厳しい時代ですね。 道内も去年のサケの水揚げ、散々だったらしいですから(←橘の新入生とサケを同列で語るな)。 ぢーちゃん 友達に連れられてドライブがてらの道内旅行に行くの、結構楽しみにしてんのさ。 んーで秋冬んなったら鮭シーズンだから、どこだかのホテルの食事でイクラ盛り放題のイクラ丼まつりやるって聞いて、ちょっと陰に隠れてちっちゃいガッツポーズしたりして じっとシーズンの到来を待ち侘びてたのに、鮭の不漁で中止だとさ。 鮭! ええ加減にせーよコラ! 箸と茶碗持って前のめりになってた俺のときめきを返せ! オレンジの悪魔も大好きだけど、オレンジのイクラの方がもうちょっと好きかもしれん…(←裏切り者)。 健康診断でコレステロール引っ掛かって怒られるかな…イクラの食い過ぎで死ぬんだったら本望なんだけどな……。

 

さて、京都橘は毎年メンバーの入れ替わりがあっても音のキャラクターが一貫していて、常に何の迷いも感じさせない強かさ(実際は悩みや迷いの連続なのかも知れませんが)を目の当たりにするたびに、ただただ敬服させられるばかりです。 先日のローズパレード報告演奏会の中で、義足で3年間頑張り通した〇ララさんを改めて紹介する印象的な場面がありました(←音声しか聴いてませんが)。 その中で歴代のドラムメジャー達が〇ララさんを評して『負けず嫌い』『決して諦めない』『面倒見が良くて頼りがいがある』等と口々に称賛していたのですが、私はこれを聞いていて ふと思いました。

これ全部、日頃から私達が京都橘のバンドメンバー達に対して抱いているイメージそのものなんじゃないか。 そう考えるとやはり〇ララさんって京都橘のエッセンスをギュッと凝縮したシンボルみたいな存在で、本来在るべき所に呼び込まれてやって来た人だったんだなぁ、と妙に納得してしまいました。 本来在るべき場所かー…あら?…ぢぢいの居場所はどこ?「(゜゜)゛ 何かどこにも見当たらないような気が…ココロが寒い……。

 

114期の話題にこだわり続けるのも未練がましいとは思うんだけど、名残惜しくてさー。

書き忘れてた思い出話を掘り起こして小ネタから書いてみようかな。 バンドフェストの時のTレックスの着ぐるみ、めんこいから2年ぐらい前からぢーちゃんもアマゾンで狙ってたんだ(←……)。 だから、笑われながらモソモソッと出て来た時は_『やられたー! 先越されたー!』って嫉妬した(←何するつもりだったんだよ)。 でも、あの着ぐるみでランス・ティベット会長とカラミやってた時に、偶然だと思うけどTレックスの顔が会長の頭を3~4回軽くどついたら、たちまち笑顔が消えてマジギレモードに。 会長、大人げないわ(笑)。 どんだけ短気やねん。 高校生相手に真顔になって怒るのやめてね。

今回のバンドフェストの動画を観ていると おおっ!と引き込まれる場面も多かった反面、全く同じ場面を記録した動画にも拘わらず、録画場所によってソロがリズムにきっちりと乗って聴こえるポイントと極端に走ってるように聴こえるポイントがあって、その落差の大きさに唖然とした事が何度かあった。 特にマンテカやシングみたいに全体の音のレベルがデカくてアップテンポな曲では、そういう傾向が顕著に出ていたように思う。 聴き手側はたった一度の機会だけで バンドの実力を評価してしまう事を考えると、こんな要素に左右されるのは怖いなと思った。 マイクを通して増幅された音と自然に空気の中を伝わって来る音は、想像以上に届き方が違うのだろう。 

さて、のっけからマンテカで緊張感に包まれた会場に、なおも情け容赦なくオレンジの魔手が襲い掛かる。 2曲目のイッツ・ア・スモール・ワールドで一転ほっこりと和ませ→笑わせ→驚かせ→唸らせる。 短めの小品ながら完全に橘ワールドに引きずり込まれた観客は、オレンジの掌で良いように転がされ、もはや抵抗する術を奪われている。 何てあざとい戦略だろう。 この後、先に書いたTレックスのワンマンショーを経て、アイル・ビー・ゼアをしっとり聴かせる。 マイクのスイッチが入っていなくてソロの冒頭部が飛んでしまったのは惜しかったけれど、このアルト・サックスさんはいつもエモーショナルで素敵なソロを吹くので、ぢぢいのお気に入りだった。 続いて、野性を呼び醒ますドラムの咆哮が轟き始めると、観客は一斉にそわそわし始める(笑) お約束のやつキター!みたいな。 でも国内の橘ファンは、飛び出して来た鉄砲玉…もとい、カラーガード達が手にした黒の帽子を決して見逃さないもんね。 常日頃からフェイントかまされ騙され続けて手酷いシング詐欺に遭ってるので、すっかり疑り深くなって耐性が付いてます。 ここでカンティナ・バンドと見せかけて、やっぱりシングでしたーとか二重フェイントの奇襲を受けたら、もう笑って素直に敗北を認めようじゃないか。 アメリカ人は頭上越しに何の駆け引きが行われているのか全く訳ワカメだと思うが。

さぁ、いよいよ怒涛のシングだがこれ以上書くと明日のネタに困りそうなヤな予感がするので、今日の所はこれぐらいで勘弁しといてやろう。

引き続き、明日の114期追悼特集をお楽しみに!(←いや死んでねーし…) 

ギブソンの経営危機

先日、ネットニュースを読んでいてアメリカの代表的なギターブランドであるGibsonが現在経営破綻の危機にあるというニュースに愕然とした。 今も昔も楽器メーカーとして最も著名なGibsonとFenderは、楽器造りに対するポリシーこそ対極と言える程掛け離れているものの、不動のライバルとして将来的にも共に王座に君臨し続けるものと、ごく当然のように信じていた。 確かにここ10年程を見渡してみても、ロックバンドという形態自体が随分下火になっているし、すんなりと思い出せるような新たなビッグネームのアーティストも登場していない。 とは言え、あのギブソンが経営危機? 一体何の話だ? どこのギブソンだって?と混乱するばかりである。 現行ギブソンのラインナップは15~30万円前後のレギュラーラインと、40~100万円以上にもなるカスタムショップの2本立てで、ビギナーからプロユーザーまでぬかり無くカバーしている。 品質はカスタムショップ製のギターについては、ギブソン黄金期(1950~1960年代)に肉迫する造りで悪くない。 ビンテージとの決定的な違いはシーズニングも含めた使用材のクオリティだが、これは現行のギブソンが悪い訳ではないと思う。 むしろ、黄金期のギブソンの方が奇跡的に良過ぎたのだ。 現在では血眼になって世界中を飛び回って探しても、当時のような理想的な木材は確保出来ないだろう。 一方、レギュラーラインは…正直言ってイライラするタイプのギターもそこそこ混じっている印象だ。 私自身は過去に9本のカスタムショップを入手し その内3本を手放したが、単純に相性の問題で別に悪いギターだった訳ではない。 ただ、やはり確かにカスタムショップはビンテージでもない割に、ビンテージの価格設定を見習っているのかと悪態をつきたくなる値段だと思う。 それでもやはりビンテージよりは遥かに安いのだが。

今回のニュースを読んでいて真っ先に頭に浮かんだのは、ギブソンが数年前にCIAかFBIの捜索を受けてストックしていた指盤材(ローズウッドやエボニー)を大量に没収された事件だった。 確か輸出入品目の規制を定めたワシントン条約に抵触したとかで、当時そこそこ話題になったと記憶している。 その結果、使用出来る指盤材が慢性的に不足する事態となり、苦肉の策としてベイクド処理をしてそれらしい見た目に仕上げたメイプルを代用し始めたが、やはり評価は芳しくなかったようだ。  その時期、私は次第に音楽から遠ざかりつつあったので、その後ギブソンがこの問題にどう対応したのか、現在はどうなのかも全く知らずにいたのだが、逆にそんな状況だっただけに 突然のニュースから受けた衝撃も甚大だった。 やはりギブソンは不滅の王者であって欲しい。

このブログを始める時に自己紹介代わりに『エレクトリックギターに対する歪んだ愛情』について軽く触れておいたが、今日はその話をして行こうと思う。

私とギターの関わりはお決まりのパターン通り、思春期の頃に始まった。 クラプトンやヘンドリックスに憧れて、ギターのヘッドに煙草を挟んでみたりしたのも定石通りだが、思い出すと恥ずかし過ぎて誰でもいいから当時の私を射殺して欲しいと思う。 あなたも思い当たる節あるでしょ? 笑わないから、ギターを抱えて鏡に向かってあなたが何をしたか正直に言ってごらん(笑)。 大丈夫、誰もが通るほろ苦い青春の思い出ですから(笑)。

で、私のギター愛が病的にねじ曲がった切っ掛けだが、ここでようやく話が本日のテーマに繋がる訳である。 そう、ギブソン…元凶はコイツだった。 私が最初にギブソンを入手したのは30歳前後の頃だったと思う。 当時、次第に人気が高まりつつあったビンテージのレスポールに押される形でリリースした復刻版『レスポール80ヘリテージ』というモデルで、現行のヒストリック等に比べると余り復刻し切れていないような不完全なレプリカではあったが、音は素晴らしかった。 夢見ていたギブソンを手に入れてみると、何だか変に落ち着いたような、妙な具合に燃え尽きたような心境になって、余りギターを弾かなくなってしまった。 と言っても興味を失った訳ではない。 ギターという楽器そのものに対しては相変わらず情熱だか執念だかよく分からない感情が渦巻いているし、今突然目の前からギターが消えたら恐らく自分は生物学的に終わるとさえ思う。 きっと心臓の鼓動付きの鉱物みたいな存在になるのだろう。 ただ、今更弾かなくても別にいいかな、というか盆栽みたいにボンヤリ眺めたり抱えたりしてたら、何かもうそれだけで幸せなのである。 撫で回してみたり分解してパーツ交換してる時の方が楽しいような気もする…。 多分、自分は元々 プレイヤーというよりコレクター寄りの人間だったに違いない。 いい歳の爺さんだし、もうこのままリタイアで上等だわ…と思っていたのだが、 例のオレンジ色の集団が暴れ回っているのを見て、ぢぢいは覚醒してしまった。 デカい音を出しにスタジオに行こう。 ぢぢいの徘徊と言いたきゃ言えばいいさ。 

 

何かもう毎日のようにブログの設定あれこれが上手く行かなくて心折れそうだし、今日こそギター弾こうと決意してとりあえずギターの前に座ったらよだれ垂らして寝てるしで、何もかも おーまいがーっ!! な状況だけど負けんぞー!(←全部自分のせいやんけ…) とりあえず昨日からようやくこのブログがGoogleの検索に引っ掛かってくれるようになってぢーちゃん嬉しいO(≧∇≦)o  ずっとどこの検索エンジンからもシカトされて、心のすき間風がキツ過ぎて凍死するとこだったわ。 だけど頑張って良かったよー! おかげ様で、ほらっ こんなに反響のコメントが……無い……1件も……(泣)。 

さて今回はブログのタイトルに思い切り背いて京都橘の話題が皆無だったんですが、それも余りにもアレだし最後に取って付けた感満載の雑感など。 前回のローズパレード(〇ラっちゃ先輩時代)参加時のパサデナ・ディズニーランドの動画を初めて観た時、夜のパレードで薄暗かったのもあってガッツリ日焼けしてた横山コーチが誰だか分からなくて、てっきりディズニー側から派遣された黒人のドラムメジャーなんだと思って観てました。 それにしても〇ラっちゃ先輩いるのに…監視の為に張り付いてるのかなーとか、校旗の後ろからぐいぐい圧迫して来るよなー、やっぱりアメリカって怖い所だなーとかアホな事を考えてました。 どうもすいません。

桜吹雪のように

京都橘に関して以前から気になっていた事があるのだが、書くべきか書かざるべきかずっと迷っていた。 このブログに書いてみたい気持ちは収まりそうにない。 しかし恐らく当事者にとっては大きなお世話だろうから、放っておいてくれと言われるに決まっているのだ。 未だにくよくよと躊躇し続けているが、お節介の血が騒いで収拾がつきそうもないので、ひとまず京都橘を離れて一般論として話を進めて行く事にしよう。

ここに一人の少年がいる。 名前は仮にAとしよう。 Aはチェスが好きだったので高校入学と同時にボードゲーム部に入部したのだが、このクラブは非常にユニークな活動方針で近隣に名を馳せていた。 特にこの高校を全国的に有名にしたのは数年前の卒業生が考案したゲームで、チェスとオセロをミックスした“チェセロ”というものだった。 (このゲームの詳細については余りにもカオスに満ちて訳の分からない闘いなので、また別の機会に解説する事にしよう。 笑)   さて、Aは元々幼い頃からチェスに親しんでいて才能も豊かだった上、クラブに入部してからは激しいエクササイズや地獄のスパーリングに打ち込んだ甲斐あってめきめきと頭角を現し、チェセロの駒を操らせたら世界一と称賛されるようになった。 テーブルに突っ伏しては時に顔を上げ、目まぐるしく駒をスキップさせてはライバル達をなぎ倒すAを、人々は『ぐんじょう色の悪魔』と呼んで畏れた。 Aは心底ボードゲームを愛していたので、王者の座に慢心する事もなくトレーニングに励み続けた。 チェセロに没頭する毎日は本当に充実していて、あっという間に2年余りの歳月が流れた。 大学に進学して更にチェセロのレベルアップを目指そうとしていたAだったが、色々調べていくうちにどの同好会やサークルもチェセロに関しては彼の望む様な活動をしていない事が分かってきた。 チェセロを邪道と決め付けて 余りにも方向性が違うもの、チェセロの事を認めはするものの 余りにもレベルの低いもの…。 Aはクラブの友人達の前で小さな溜め息をついてから、笑顔になって言った。

「このクラブで出来る事は全部やった。 自分の人生の夢なんて考えた事もなかったけど、振り返ってみたら今日までの3年間がそうだったのかな。 楽し過ぎて気付かなかった。 大学に行ったら今度は体育会系のゴツいのを目指そうと思う。」     

 

大好きな京都橘吹奏楽部だけれど、せっかくローズパレードであんなにも大勢の観衆を沸かせたり地元紙に絶賛されるような能力が有りながら、卒業後 彼らの才能をそのままの形で受け入れてそのスキルを伸ばし磨き上げてくれる場が無い事が本当に悔しくてならない。 楽器奏者としては殆どがこの3年間限りで燃え尽きてしまうしかないのだ。 勿論、座奏の吹奏楽や一般的なマーチングバンドに加入するという道もあるけれど、橘の経験者がそういう場所にやり甲斐や居心地の良さを感じるかどうかは大いに疑問が残る。 満開の桜の花は散り際も見事だけれど、京都橘の演奏に毎回感動して泣かされるのも、同じように3年間を駆け抜けて行く儚さが透けて見えるからかもしれない。

東京では2年後にオリンピックが開催される。 この大会を盛り上げる為に、力のある芸能事務所が猛然とプッシュする“華々しいスター達”の名前が賑やかに取り沙汰されている。 

全くもってウンザリだ。 私達が胸を張って誇りたい日本の文化は、そんな物じゃない。 

私達が聞きたい名前はそんな商売人の名前なんかじゃない。

ビジネスと文化を混同して欲しくはないのだ。

先日のローズパレードの動画を観ていて、顔も手足も日焼けして真っ赤になりながらも、全力で演奏したり笑顔で手を振って懸命にパフォーマンスを続ける京都橘の生徒達こそ、日本の誇りとしてオリンピックの場で世界中に発信して欲しいと本気で思った。 他にも長年にわたって世界選手権を制覇し続けているチアリーディングだって、今や日本のお家芸と言っても良いほどのレベルに到達していて、オリンピックのオープニングセレモニーのパフォーマンスにはぴったりだと思う。 どちらもアマチュアで、当然ながら金儲けには結び付かない。 けれども、それがどうしたと言うのか。 地道で涙ぐましい彼らの努力を無視しておいて、札束の匂いばかり嗅ぎ回る事に一体何の価値があると言うのだろう? 少なくともスポーツの祭典で何故 プロ歌手の陳腐な歌を披露されなければならないのか、私には全く理解出来ない。 それが最近の潮流だと言うのならば、是非とも日本の手でそんな愚かな流れを断ち切って欲しいと思う。 

政治的な発言でこのブログを汚らしくペイントするつもりはないので余り深く踏み込まないが、私はこの国のリーダーとしての現在の首相を信頼し支持している。 日本というブランドの価値を高める仕事を考えるのも確かに重要だと思うが、もうそろそろこれまでのような手垢まみれの商業主義や利権からオリンピックを切り離して本来の姿を指し示すのが、この国の役割になってきているのではないだろうか。 火中の栗を拾うような気の進まない仕事かもしれないが、日本が率先してやらない限り他のどの国も手を出さないような気がする。

ドラムメジャーの見る夢は…

京都橘の歴代ドラムメジャー達は、1~2年生にとっては常に羨望と憧憬の対象でバンドの象徴的存在です。 それだけに1年生の秋ぐらいの段階で翌々年度のドラムメジャー指名が行われると聞いた時は、肩すかしを喰ったような気分でした。 勝手に膨らませたイメージ(と言うか妄想)では、入学から2年間の切磋琢磨を経て 抜きん出た実力やリーダーシップを認められた部員が、3年生になってから晴れてドラムメジャーに指名されてめでたしめでたし、という筋書きが出来上がっていたからです。 しかし現実にはどうも『それでは遅過ぎる』という事のようです。 1年生の段階で早々にドラメの資質に目星を付けた部員をじっくりと育成して行かなければ、いざ3年生になって部全体を統括する立場になってからでは、自分自身のトレーニングどころではないですもんね。 なるほど、確かに…… (独りで納得)。 とは言っても、入学からまだ半年程度の新入生の肩に(見習いとは言え)いきなり全国大会強豪校の代表としてのプレッシャーがのしかかって来る訳ですから、その心中は決して穏やかではないでしょう。 TV番組に取り上げられて、そのリーダーシップやカリスマ性が絶賛されて今や伝説になりつつある〇ラっちゃさんをはじめとした歴代ドラムメジャー。 その一人一人を思い起こした時に、この子達にもし一つだけ何か贈り物が出来るなら、ドラメを離れて クラリネットやフルートやトロンボーンやホルン…それぞれの担当パートで、憧れていた先輩と同じように楽器とダンスに思う存分に没頭したり満喫したり出来る2年間分の夢(一晩で効率的に完結するヤツ 笑)をプレゼントしたい気がします。 今年のベネフィット・コンサートの動画を観ていたら、ラストで全員笑顔で手を振る中、一人だけ口を『へ』の字に結んで半ベソで涙を堪えてたドラメの〇ンさんが(笑)。 だから貰い泣きするから やーめーれー(笑)。 背負い続けてきたものの重さを考えると仕方ないよね……見なかった事にしときます。

 

さて、京都橘高校。 校名にもしっかり表記してるぐらいだから間違いなく京都の学校ですけども、ご存知の通り同じ京都繋がりって事でタイガースの『シーサイド・バウンド』もレパートリーに入ってます。 人気という面では当時のGS(グループ・サウンズ)ブームのトップに君臨していたバンドで、京都人達もさぞかし鼻が高かった事でしょう。 別に妬んだり僻んだりして言う訳じゃないですけど、うちらヒグマ王国にだってね、えーその…い、一応いたんですよ、地元札幌出身のGS。 キッパー*っていうバンドで……って、ねぇ何で皆そんなに後ずさりしてんの? 悪かったよ! どーもすいませんでした! 書くんでなかったわ! 俺だって当時子供心に「う~わ、何か垢抜けねー…つーかクッソ田舎くせーGS!」って思ったもん、正直。 『*まなすの恋』とか言う曲のタイトル聞いた時点で終わってるなと思ったし(何か他に題材なかったんか…ハマナスって…)、曲聴かされたら何だかもうGSの皮を被ったムード歌謡でクラクラ立ち眩みしたもね。 あー…札幌ダメだと思った。 今でも札幌の暗黒の歴史になってて、この話題振られると札幌市民はみんな涙目でしらばっくれて全力で逃げて行きます。 頂点のタイガースに対して、ド底辺の*ッパーズ。 惨め過ぎて涙も涸れた…。 頭が痛いよ……きっ*ーず…。 でも、あの頃は猫も杓子もGSだったから、ムード歌謡崩れだろうがお笑い崩れだろうが、とりあえずエレキギター持たして何か演らしとけみたいな安易なバンドが札幌に限らず全国に溢れ返ってたと思います。 そんな飽和状態がいつまでも続く訳もなく、GSブームは2~3年で呆気なく終りました。 

愛するーアーニーター…兄太~!! (←大仁田~!!でもギリいけそうだな…)

※意味分かんない子は『ワイルド・ワンズ 愛するアニタ』で検索だ、急げ!(←つまんねーからやめとけ)

 

先日You Tubeに投稿された動画に何と1993年の橘のパレードがありました。 曲はお約束のDown by the riversideですが、さすがに25年前となると現在とは幾つかの相違点があって、間違い探しクイズが出来そうです。 真っ先に気付くのはやはりソックスと靴が白い所ですが、これは2005年にシングのパフォーマンスが誕生する辺りまで引きずっていたので、比較的見慣れたスタイルですね。 今回初めて見たのは全員が白手袋を付けていた点と、カラーガードの小娘どもが 、ふざけた事にヒールがやや高めの白ブーツみたいなのを履いてて…ちっ!……このアマ~…小癪な真似しやがって! どこで色気付きやがったんでしょうか。 カラーガードは罰としてその靴履いて校庭で10分間グルグルやって来なさい!  本番は一回やねんで!(←意味分からん)  後もう一つキッチリと告発しておきたいのは、よりによってドラムメジャーが何かフサフサした鳥の羽根みたいなのが付いたマーチングバンド風の帽子かぶってた事 (←マーチングバンドだからいいんだよ)。  あと、パーカス隊は通常通りゴキのコスプレだから異常なし (←ヤツらをこれ以上刺激するな……)。

 

しかし京都橘の古い動画を観ていていつも驚くのは、2005年のシングに向けてあらかじめ『それ』が起こる事を潜在的に予期していたかのように、どんどん下地が出来上がって行ったという事実だ。 逆説的な言い方になるがシング1曲だけで一足飛びに橘がユニークな存在になった訳ではない。 軍楽隊を源流とするオーソドックスなスタイルが殆どを占める国内のマーチングバンドの世界で、京都橘はそんな主流派とは距離を置いた風変わりなエンターテイメント志向のバンドとして元々特異な位置付けにあったのだ。 そんな“異端児”の決定的な変容を促す触媒がシング・シング・シングだった訳だが、準備万端整っていたこの高校生達にとって、それは決定的と言うよりはむしろ仕上げの小さな一押しに過ぎなかったのかもしれない。

原 信夫とシャープス&フラッツ

1年前だったら絶対スルーしてました。 「あー、昔よく歌謡曲の番組でバックバンドやってたよねー」程度の認識だったから。 橘のシングにハマってからベニー・グッドマンのオリジナル・バージョンや最近のUSスウィングバンドのシングとかも色々聴いてみて、どれもそれぞれカッコエエなーとは思ったんだけど 橘のえげつない躍動感に慣れ過ぎてるせいか 、心の奥底の方で『へっへっへぇ~!…本当はもっとキッツくてヤッベーやつあんだろー? 出せよぉー、ふぁっきゅー!(中指タテ~) きるゆー!(親指サゲ~)』的な事を考えて悶々としてました。 (←このぢぢいはジャンキーか。)  そして辿り着いたのが表題の原 信夫とシャープス&フラッツだった訳で。 期待度を正直に書くならば中の下。 『歌謡曲のバック』という小遣い稼ぎのアルバイトが余計な先入観を呼んだ(まぁプロですから小遣い稼ぎなんかじゃないんですけどね)。 しかし、本職のスウィングに戻ったらとんでもない手練れの職人集団なのである。 なるほど、これが玄人なのかと思い知らされた。 派手過ぎず賑やか過ぎず、大暴れする訳でもない。 息詰まる緊張感、気を抜いた瞬間に殺られる、そんな戦闘空間に放り込まれた気分だ。 ここで橘流に『きゃあ~!』とか嬌声を上げてみたい衝動に駆られる。 恐らくメンバー総出でフルボッコにされるに違いあるまい。 スイカみたいに腫れ上がった顔が脳裏をよぎる。 カニ食いたい。 道民の主食はカニでもいいような気がしてきた。 最高だよ、シャープス&フラッツ。 本当に惜しい事に、とっくに解散していたのだが。

 

さて、6年前もえらい騒ぎだったけど今年も大盛況でしたね~、ローズパレード。 期待に胸膨らませて某アマ*ンのライブ配信を観た方々はその内容が相当アレだったらしくてブーイングの嵐になってたようですが、そもそもア*ゾンがそんな企てをしてた事すら知らなかった私は、たまたま明け方に目覚めて、たまたま開いてみたYou Tubeで、おろ? 何かライブ配信やってるみてーだ。 何だべ? と思って観てみたら、又してもたまたま京都橘がやって来る場面でしたとさ。 何だろう、やっぱり何て言うか、こう……日頃の行いの…差? みたいな?ほ~っほっほっほ! やーねー、もう! いやホンット参るわ(笑)       6年振りの凱旋パレード…もはやどっちが母国だか分からんような歓迎を受けて(実際、米NBCテレビは京都橘をカリフォルニアの高校と全力で誤表示してました。) オレンジ集団がパレードしてくる光景だけで、ぢーちゃんもう胸一杯です。 生きてて良かった。

一番美味しそうなロケーションを見定めてマリオブラザーズからブワッとフォーメーションが拡散、全員がステップしながら腕を大きく振り始めた瞬間に沿道はもう悲鳴混じりの大歓声に包まれてます。 もう お約束ですからね。 

そう、江戸時代から続く ええじゃないか運動! (←おい!)

いや、百姓一揆!! (構わず先へ進め。)

さすがOB・OGを動員して200名以上の大所帯バンドにパワーアップしただけあって、音の厚みや迫力がえらい事になってる。 バスドラの地響きなんか、殆ど放送事故レベルだ。 それでなくても日頃から橘のパーカス隊はやかまし過ぎると絶賛の嵐なのに(←………)。 その一方で、2012年と比較してやや気になった事が…。

以前は各パートが渾然一体となって『一つの音楽』として飛び込んで来ていた音の纏まり方が、今回は今イチだったという印象を受けた点。 演奏そのものの問題ではなくて、あくまでも音響面での問題なのだが。

増員してバンドの隊列全体の長さも相応に伸びたのかもしれないが、固定位置で録画された動画を見較べてみると、バンドが移動して行っても比較的安定して曲全体のアンサンブルが伝わってきた2012年に対して、今年は移動位置につれて各パートの展示ブースを次々に渡り歩いているような印象で、多少違和感が残ったように思う。 目の前で裏メロのパートが一所懸命に頑張ってくれているのに、肝心の主旋律パートの音が遠過ぎて伝わって来ないのは、何としてももどかしかった。 各パートのレイアウト変更等でこういう問題がどの程度改善できるのか部外者としては測りようも無いのだが、今後もしも又こんな大人数で演奏する機会が有りましたら…対策の方ヨロシクね。 ぢぢいのお願い。 うふ♥ (←サイテーだな)

 

2012年にせよ今年にせよ、ローズパレードの動画観てると沿道のアメリカ人オバちゃん達が橘のパフォーマンスを「エエやんけ!」って褒めてくれてる声が聞こえてきたりしますよね。 そーすると何かこう自分が褒められてるような気になって来て、結構気持ち良かったりするんですが

やっぱりあの、英語なんで理解してストン!とお腹に落ちるまでにタイムラグもあるし、マシンガントークみたいな勢いでガーッとまくし立てられると、??マーク飛ばして凍りついてる間に50mぐらい後方に置き去りみたいな孤独感を味わったりするしね。 ホワ~イ? ちょっと待ってよ アメリカじーん! もーちょっと、こう、おもてなしの…(以下略)

「Yeah!  You’re  sweet!」  よ…よーすいー。 井上 陽水? 夏が過~ぎ~風あ~ざみ~

「Wow!  Amazing!」   あめーじん。 いや、多分雨は降らんべ。 

「Incredible!」  いんく…れーでぼー。  れでー…ぼー…でん? アイス食い…たい?

「Awsome!」  大…寒…小寒。 むしろあっつそうですけど…。 

「Adorable!」  あ、どーろぼー! どどどどどら!? ケーサツ呼ぶか?

「Cool!」    いや、いきなり食う!ったって何も食うもんねーし!

「Cute!」    坂本。 上を向~ふ~いて~歩こぅおぅおぅお~

パレードの動画で拾い集めた称賛の言葉、耳についたのでこんだけあったし、バンドフェストで司会のおっちゃんが言ってた「Absolutely  outstanding!」ってのもありましたね。 きっちり覚えといて今度自画自賛する時に使おうと思います。

ヒグマの国

どーも。 お世話んなっております。 皆さんとこはアレっすか、もはや春~みたいな感じ?  雪なんてねーよーみてーな? けっ! そら結構ですこと!  羨ましーったらないわよねーだ、本当にクソがクソがクソがぁ! もー、ぢーちゃん明け方からず~っと雪かきだよ。 真っ白に燃え尽きたわ… もうじきお星さまになるの~、うふふ~♥…って、朝からやさぐれ過ぎて壊れました(←元から…)  ぢぢいんとこ札幌なんで、雪解けはまだまだ先です。 いっちばん酷かった時なんて(40年ぐらい前かな)、雪解けも完全に終わって油断しまくってた5月5日の子供の日に、いきなりボタモチみたいなデカくて湿った雪がわっさわさ降って来て大パニックになった事あったもね。 有り得ねーしょ? 雪一粒がボタモチだからアッという間に冬景色だし、情け容赦なく降り続くもんだからバスもタクシーも走れなくなって最低な1日でしたわ。 たまたま街に遊びに出て脳天気にはしゃいでたワタクシ(←とことん運に見放された幸薄い男)は、夕方6時頃バスに乗って普段なら1時間で帰宅できる所が その日は家に辿り着いたの夜中の2時過ぎですよ。 翌日は寝不足でずーっと怒りの立ちくらみ状態、ちょっと気を抜くと一緒に魂も抜ける~みたいな(怒)。                              こんな話を書くと、あーやっぱり北海道って人外魔境なんだーとか、札幌に転勤=見せしめの左遷=人生オワタ とか、大通り公園では市民が ヒグマととっ組み合いの喧嘩してるらしい、とかそーゆー誤解されるかもしれんけど、札幌ええとこですよ。 確かに冬んなると雪ウザいけどさ、雪ぐらいナンボのもんよ(←冒頭で泣きごと言いまくって八つ当たりしてたの誰だよ)。 転勤で札幌にやって来てガックリ肩落としてたサラリーマンだって、いざ3年ぐらいこっちで暮らしたら戻る時みんな大泣きするんだから (ひょっとして歓喜の涙か? そーなのか? そんなに厭だったのか? ぢーちゃん怒んないから正直に言ってごらん? シバくぞコラ! )。 ただ、一応念の為に言っとくと、あさって方向の偏見というか先入観みたいなの抱えた観光客の方も、ねぇ…何なんでしょーか。 曰く「北海道の人達はカニなんて毎日食べてるから、珍しくもないだろうけどぉ」   食ってねーよ! 何で毎日カニ食わなきゃなんねーんだよ! 人をカニクイザルみたいにゆーな! 道民の主食はカニか! 殻ごとバリバリ食うと思ってんのか! 野獣か!? なぁ!?

前フリが長くなりましたけども、ちゃんと京都橘の話もしますからね。    橘の動画を観る時に楽しみにしてる事の1つに、パレードにくっ付いて[ぶらぶら散策して見知らぬ町並みを眺めてる気分を味わえる]っていうのがあるんですが、皆さんはどうですか? えーと、例えばさくらパレードとか観てるとアーケードの商店街が出て来て、おお! うちらのヒグマの国で言えば狸小路みたいな感じかねー、ゾゾゾ(茶を啜る)……おお! 前方に酔っ払いのぢぢいが現れたねー。 仲間になりたそうにこちらを見ているねー。 おお! 注意しに行ったら威嚇されてシバかれそうになったねー。 デンジャラスなぢぢいだよねー、ゾゾ(茶を…) みたいな、緊張感のカケラも無いような自堕落な態度で観てる訳ですが。 実写版ぐでたま的に。 こんなグッタリしたぢーちゃんでもシングシングが始まったりすると、ノリノリでくねくね動き始めたりもするんですよ。 すぐに電池切れて静かになりますけど。 今も動画流しながら書いてて丁度バンドフェストでトラックをパレードしながら退場して行く場面ですが、シングの冒頭  ドラムメジャー3人衆の 「そこのけ!  そこのけ~!」みたいな傍若無人感、ホンット大好きです。 お前らジャイアンとスネ夫か! いじめっ子か!と、シャープなキレで突っ込みたくなるし。                         おーいみんな見てくれー、オレンジのヤクザだぞー! ……この暴走っぷりは誰にも止められないわー。 躍動感の塊が押し寄せて来るみたいな。 やっぱり若さって凄い。 ……う…羨ましくなんかないやいっ!(←涙目)     それにつけても橘の導火線に火を点けたS 君、取り返しのつかない事やらかしてくれたよね(笑)。 この始末どーすんの(笑笑)。 シングシングという選曲にしても この曲で初めてぶち上げたステップの基本形にしても、余りにも完成度が高過ぎて余りにもインパクトもデカ過ぎて、橘の後輩達は十数年経った今もこの曲を超えられずにいるよ。 S 君だけでなくて同期メンバー達みんなで意見を出し合って磨き上げていった結果、今の破壊力を装備してしまったんだろうとは思うけど、ここは一つ代表して男らしく責任取りなさい。 切腹を申し付ける(笑)。  

ただ、田中先生の企みなのか橘のシングはよくスウィング・スウィング・スウィングを混ぜ込む比重を変化させたり、シングに行くと見せかけてあっさりと他の曲に逃げ込むようなあざといフェイント仕掛けてくるから、やっぱりマンネリに陥らないような工夫は絶えず考えてんだよね、きっと。 よく橘をディスる連中のターゲットにされる田中先生や横山コーチだけど、どちらか一方でも欠けたり入れ替わったりしたら向こう数年間は立ち上がる事も出来ない位の壊滅的なダメージ喰らうような気がする。 全国レベルの強豪校って、やっぱり指導陣がそもそも凄いんだと思うわ。 お二方とも、今更逃げようとか変な気起こさないで頑張って下さいね。