Black music

今回は橘プレイリストの系譜を辿る上で、決して避けて通る事の出来ない『黒人音楽』についてのお話です。 恐らく英語圏の国に居住している方々にとって、この『黒人音楽』という言葉や区分には少なからず差別的でネガティブなニュアンスを含んだイメージが付いて回るのではないでしょうか? 日本では全く様相が異なります。 この国で言う『黒人音楽』のイメージには、差別や侮蔑的な要素が皆無であるばかりでなく、むしろ彼らの驚異的なリズム感や、魂に直接訴えかけるエモーショナルな表現に対する敬意が殆どの比率を占めているように思えます。 しかもその敬意の対象は現在の音楽シーンだけに限らず、古くは彼らの民族的・信仰的な風習と西洋音楽との邂逅がもたらした、プリミティブなカントリー・ブルースにまで遡る包括的なものでもあるのです。 ではそんな背景を念頭に置いた上で、黒人音楽の歴史的な変遷を紐解いて行く事にしましょう。

アメリカでの黒人音楽の萌芽期については、黒人の奴隷制度という不幸な歴史についても触れざるを得ません。 皮肉な事に、人間としての尊厳を認められず搾取され蹂躙され続けた彼らの鬱屈した魂こそが、そのオリジナルな音楽性を培う豊かな土壌となりました。 彼らの悩み・苦しみ・哀しみや、彼らの人生に立ちはだかるあらゆる不条理に対する憤りが、初期のシンプルな構造のブルースを生み出す衝動となり原動力となったのです。 やがてこの単調で泥臭い音楽も次第に洗練され、幾つかの支流へと枝分かれを始めます。 中でも目を引く力強いうねりを持った流れがありました。 ジャズの誕生です。 しかも、この流れには他の支流にはない一つの大きな特徴がありました。 白人の取り込み・白人社会への浸透です。 事がスムーズに運んだとは決して言えないものの、黒人だけの言わば ”閉鎖社会” から解き放たれたこの流れは、やがて北米大陸を席巻するに至ります。 そんなジャズの人気に呼応するかのように、やや遅れを取りながらも他の支流も次第に活況を呈して来ます。 初期のデルタ・ブルースからは大きくスタイルを変えながらも、根底に流れる感情はそのままに受け継いだシカゴ・ブルース。 破天荒で軽快なロックン・ロール。 ソウルやリズム&ブルース・シーンでは、モータウンやスタックスなどのレーベルがそれぞれの特色を打ち出して競い合いました。 若き日のビートルズやストーンズが目の色を変えて追いかけ回していたのも、リトル・リチャードやチャック・ベリーであり、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフだったのです。 

こうして徐々に市民権を獲得して行った彼らの音楽も、’70年代以降は一気にかつての傍流としての地位が嘘のような繁栄期を迎え、音楽シーン全体を牽引する最大勢力へと発展した感があります。 その最大の要因はダンス・ミュージックの勃興と定着と言えるでしょう。 ファンク系のソウルが起爆剤となって巻き起こされたブームは、やがて長い時間を経て鎮静化したものの、それが意味する事はソウル・ミュージックの没落ではなく日常生活への浸透でした。 黒人音楽は、もはや一時的なブームという範疇を超越したのです。 しかしながら音楽的な成長という意味では、ラップの登場を契機に飽和状態とでも言うべき停滞が続いているのが気掛かりです。 いずれにせよ、音楽界に再び新たな潮流が生まれる事を、そしてその時には全ての人種間の調和がとれた社会である事を願っています。

橘のパレード出発の口火を切る曲、ダウン・バイ・ザ・リバーサイド。  アメリカの黒人達の間で南北戦争時代から歌い継がれてきたゴスペルです。 反戦歌ではあるものの、そのシンプルな歌詞の示唆するものは、より普遍的な人間の願いのような気がします。 恐らく平松先生が顧問だった時代から受け継がれて来たこの看板曲には、橘の意思や願いが託されているのではないでしょうか?

川辺へおりて、武器を下ろそう。

川辺へおりて、武器を下ろそう。

戦いはもう御免だ、戦いはもう沢山。

戦いはもう御免だ、戦いなんてもう沢山だよ。

川辺へおりて、重い荷物を下ろそう。

川辺へおりて、重い荷物を下ろそう。

戦いはもう御免だ、戦いはもう沢山。

戦いはもう御免だ、戦いなんてもう沢山だよ。

川辺へおりて、重い荷物を下ろそう。

川辺へおりて、重い荷物を下ろそう。

戦いはもう御免だ、戦いはもう沢山。

戦いはもう御免だ、苦しみも気苦労ももう沢山だよ。