ドラムメジャー雑感

昔の動画で〇ラっちゃ先輩が単独インタビューを受けてバンドメンバー達に対する感謝を語る場面があって、その中で涙を浮かべた彼女は次のように話しています。 「ドラム・メジャーは部員達の前で泣いてはいけない。 だから私の泣いている姿は放映しないで下さい。」 彼女は全国大会を戦い抜くまで気丈にバンドを牽引し続けて、結局 全身全霊を賭けた目標ヘの夢が破れても、会場を後にするまで唇を噛みしめて決して涙を見せませんでした。 それは恐らく先代ドラムメジャーから受け継いだ伝統であると同時に、彼女自身のプライドでもあったのでしょう。 けれども全てが終わって舞台裏へと引き上げて来た瞬間に、この明るくて気丈なDMは一気に泣き崩れました。 初めて部員達の目も憚らず号泣するDMの姿に、全てのメンバーも声を上げて泣きました。 普段は感情を抑えた物静かな顧問の田中先生さえも涙を拭っていました。 そんな中、1人だけ厳しい表情で闘志を燃やす部員がいます。 次期(2012年)ドラム・メジャーの〇イヤです。 「とても悔しい。 来年は徹底的に闘って必ずこの場でリベンジして金賞を持ち帰る。」 彼女の口から激しい闘争心剥きだしの言葉が飛び出します。 実際にDMの座を委譲するのはまだ数ヶ月先ですが、彼女の中ではこの瞬間 既に新たな闘いが始まっていたのでしょう。 新旧ドラム・メジャーの対比が強烈なコントラストを放っていたこの場面は、今も胸に焼き付いて離れません。 

受け継いできた伝統に対するプレッシャーや葛藤。 恐らく歴代ドラム・メジャー全てが経験して来たであろう張り詰めた心象風景を物語るエピソードの中でも、やはり私がどうしても忘れる事の出来ないシーンがあります。 111期DM〇ーゼフの悲痛な叫びです。 トレーニングでは次々に厳しい指示を出していた彼女ですが、普段は冷静で余り感情を表に出さないタイプという印象でした。 しかし全国大会の前日、最終チェックの段階でラインの乱れが頻発して練習の仕上げどころではなくなってしまいます。 彼女は厳しい叱責の声を上げていましたが、土壇場になってのメンバーの不協和音にとうとう感情を爆発させてしまいました。 「全国大会への進出を皆が嬉し涙を流して喜んだのは何だったのか? たとえ やれば出来るバンドでも、やらなければ最初から何も出来ないバンドと同じではないのか? 出来る筈の事を実行せずに終わってしまえば、後悔するのは私達自身だ。 後悔しない為に練習に集中しなさい。」 叱責の声は絶叫に変わり、やがて涙まじりの嗚咽になって練習場は静まり返った。 部員全員の前で練習中に号泣してしまった彼女は、橘DMの約束を破ったリーダー失格者なのだろうか? 私はむしろ、浮き足立って空中分解寸前だったバンドを身を挺して救った最高のドラム・メジャーだったのではないかと思っている。 大会の当日、出番直前には吹っ切れたような笑顔で部員達にメッセージを贈っていた。 「昨日みんなの前で泣いてしまった後に考えていた。 これまでずっと金賞だけを目指して走り続けてきたけれど、大切なものは賞なんかじゃない。 みんなで揃って演奏する事が楽しくて幸せだった。 今日は楽しもう。 」 現在は削除されてもう閲覧する事は出来なくなったが、私はこの動画を何度も繰り返して観て、観た回数分泣いた。 なるべくGoogle翻訳がスムーズに進むようにDM達の言葉は標準語に直したが、元の関西弁のニュアンスで完璧に脳名再生される程 鮮明な記憶として残っている。 私が橘を愛して止まないのは、彼ら自身の京都橘吹奏楽部への愛情深さに突き動かされるためだ。 顧問やコーチ、スタッフ、父兄、OG・OBを含めたチーム橘の献身的な努力には、驚くべきものがある。  私達が受け取っている京都橘の音楽は、彼ら全てが慈しみ育んできた植物の甘い果実だ。

 

田中先生の引退の期日が迫ってきた。 京都橘の優れた指揮者、編曲家であり ユーモアに満ち溢れた進行MC担当としても活躍された【京都橘の父】である。 後任顧問については未だ正式な発表はないようだ。 橘吹奏楽部の運営は部員達の自主性に任されている部分が多いとは言え、曲のアレンジや総指揮を担ってきた彼の引退が及ぼす影響は相当大きなものになるだろう。 ともあれ、橘ファンの立場からは現状の路線を維持していくものと信じたい。 良いにせよ悪いにせよ大きな変革を実行する時には、何らかの破壊や破棄は避けられない。 そして、一度破棄してしまったものを取り戻そうとするのは、思っているより遥かに困難な事なのだ。 今後の京都橘の慎重な舵取りを願うばかりだ。