取り戻せないもの

最近、とあるものの本で読んだのですが、物理学の分野では従来からの時間の概念が揺らいできているのだそうです。 これまでの捉え方のように時間は過去から現在、そして未来へと一方向へ不可逆的に流れて行くものという常識的と思われてきた思考が、次第に否定されつつあるのだとか。 それでは新たに主張され出した時間の在り方とは、どんなものなのでしょうか? 私達の世界には、時計という道具が存在します。 秒針があって、長針があって、短針があって、時間の流れを厳密に規定しているように見えます。 けれどもそれは道具の動作であって、時間とは関係ありません。 時計は錯覚を刻む機械で、時間は流れません。 時は流れず、ただ【在る】のだとか。 過去も、現在も、未来も、重層的にただ【在る】……この辺になると、何だか禅問答のような形而上学のような、およそぢぢいのような凡人には永遠に辿り着けそうにない考えです。 そもそもこんな風に時間の概念に惹かれたり漠然とした疑問を抱いたりしている事自体、ぢぢいは時の流れに敏感になったり何か救いを求めていたりするのかもしれません。 歳とったなぁ、って自分でも思う事が多くなったし、若い頃に見ていたのと同じ風景を見ても、受け止め方が随分変わってしまったような気がします。 どちらが良かったとか悪かったとかじゃないんだけどね。 先日、親戚の通夜に参列して久しぶりに再会した従姉妹達が、やっぱり予想通りみんな萎んでました(笑)。 だけど、一緒に夢中になって遊んでた頃の面影は残っているから、みんなが若かったり幼かったりした時の幻がダブって見えて、その瞬間 あっ!と冒頭の【時は重層的に~】を思い出していました。 ぢぢい、ほんの一瞬だけ時の深淵を覗かせて貰えたのかも知れない(笑)。

先日、まだ観た事のなかったローズ・パレードの動画がアップロードされていたのでチェックしてみたんですが、しばらく さくらパレードを見慣れていた目には規模も環境も大違い過ぎて一瞬戸惑ってしまいました。 さくらパレードを取り巻く環境の絶望的な狭小さとローズ・パレードを比較する事自体、無謀な試みではありますが。 では日本で新たにローズ・パレードのような大規模なイベントを開催する事は不可能なのでしょうか? 先ず、集客のベースとなるアメリカン・フットボール(ローズ・ボウル)のような国民的な盛り上がりを呼び込むスポーツが、日本には見当たりません。 敢えて強引にこじつけるならば大相撲がありますが、相撲とパレードで連想できるのはごく小規模なものだし、毎年恒例の催しにしても侘しいものになりそうです。 それならばまだサッカーのJリーグにリンクした催しの方が現実的でしょうか。 次に長距離に渡るコースを全面的に車両通行止めにしたり、沿道にシートを設置したりする事はどうでしょう? 道路占用の許可申請等、面倒そうな手続きは一切無視して考えると、ロケーションさえ厳選すれば、どうにかなりそうな気はします(すごく無責任な言い草ですが 笑)。 更に参加バンドの見通しはどうなのか? この点については全く心配していません。 京都橘や出雲商業のように完全にショーアップされたブラスバンド以外にも、精華女子のように精密機器を思わせる緻密なマーチングで魅了するバンドもあり、個々のレベルの高さやキャラクターの豊かさという点で日本はブラスバンドの宝庫と言っても良いと思います。 そして最後に一番心配な部分なんですが、日本人の国民性としてバンドと一体となって音楽を楽しんだりパレードを盛り上げたり出来るのだろうか、という疑問が残ります。 さくらパレードの反応を見ていると、年々オープンに楽しむ方が増えてきてはいるようですが、それでもまだリアクションと呼べるレベルではない気がします。 京都橘の放つ咆哮に、オブリガートのように応える大声援(笑)みたいな光景が見られる日が、いつかやって来るよう願ってやみません。

あさっては待ちに待ったブルーメの丘パレードだよ。 別にぢぢいが観に行ける訳じゃないんだけどさ、何かテンション上がるわ。 うふふ(←危ねーぞ、ぢぢい)  あ、一応京都の天気予報でも見とこっかな~♪ランラン  ………………………………雨………………だと?……。 いや、ちょと待てちょと待て! 雨天の場合はどうなんの? カッパか何か着てやるとか?(←ねーよ)。 じゃ傘させば?(←破滅的バカ)。 まさか……中止とか……。 そりゃねーべ! ぢぢいどんだけ首長くして待ってたと思ってんだよ! こないだの通夜ん時ワイシャツの首ボタン閉まらんかったんだぞ!(←首伸びてねーし! 逆に太ましくなってどーする) いやー、ショックだわ…。 全く何て日だ。 あ…13日の…金曜日だ……じぇいそ~ん!